第34回 過渡期ナイト

2005/04/24  早稲田 喫茶店「シャノワール」 

関連サイト: 「こちら『過渡期ナイト』事務局☆」 http://d.hatena.ne.jp/sr73/
過渡期ナイト BBS@暫定版 http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk


久しぶりの過渡期ナイトワークショップです。楽しみにしていました。
特にテーマが、最近私も漠然と考えていることについてだったので、是非参加しようと思っていたのです。
そう、今回は「フィクションとノンフィクションの相関関係」でした。

 そのイントロダクションとして、まず「個人情報についての理解度」を死紺亭さんのナそれぞれの意見を交えたんですが、
これがけっこう盛り上がってしまいました。そこで、ちょっとした混乱が。。。それが木棚さんの一言でクリアになりました。
「それって加害者になり得る話でしょ?」あ、そうか!私は被害者になることしか考えていなかったのです。
どうしてもネットの話をしていると、ハンドルネームも含めて、自分の情報を悪いことに使われるのでは・・・
ということばかりに頭がいってました。
 
 そうです!プロでなくても、私たち物書きなんですよね。趣味の延長みたいな感じで始めた私にとって
自覚が足りなかったと反省したものです。
以前なら、不特定多数に発信するには出版しなきゃならなくて大変でしたが、インターネットが日常的になったら、
不特定多数側がどんどん発信してきちゃう時代になっちゃって、詩なんて特に、
私たちが少年少女時代、自分のノートに密かに書いてきた感覚で、ネット上で書いている人が増えました。
これって「公」の感覚が薄いんですよね。私自身も含めて。。。コワイ時代になりました。
「読んでもらう」のが目的の人、「書くこと」が主の目的の人、なかなか分けることができない。
なんとなく、ウェイトがどちらかに片寄ってるって感じですよね。

 「ノートで密かに」っていうのは、「身内が見ていない、だけど自分の外へ出した」という感じ。それがネットでもそんな気がしちゃう。
「基本はアドレス教えないと誰も知らない」という錯覚がある。確かに、ホームページ作って人にアドレス教えてなかったら、
誰も来なくてゴーストタウン状態です。だから、日記なんてよく発散に使われますから、悪口(というほどでなくても怒り)とか書いてる場合も見かけますよね。そういうときに個人情報を書きすぎるとやばいんですよね。
  で、死紺亭さんがおっしゃってた「匿名でも特定できてしまうケースがある」という言葉は本当に心に突きつけられました。
というのは私は、「あるエッセイを書きたい、でもやばいよなぁ」と思ったことがあります。
悪口じゃなくても、良かれと思って書いても、匿名でも、ある人のことを書いて、本人が読んで
「私のことって、周りはわかるじゃない!」「そんな話、広めないで欲しかった」となると訴えられたすることがあるんですよね。
コワ〜イ、と思ったところで、死紺亭さんが紹介してくださった本は二冊。。。
 
 @「これだけは知っておきたい個人情報保護」著:岡村久道+鈴木正朝
 A「西城秀樹のおかげです」著:森奈津子

@ の方は、題名で分かるとおり、薄くて便利な一冊です。なので、最低限こうして守りましょう!って感じ。500円なので早速買いました。
A の方は、盲点と言うか興味深い点を教えて頂きました。例えば、「森奈津子って、どの森奈津子?」という仕掛けだそうです。
そう、この作家さんは意図的に特定しにくい方法を、ペンネームだけでなく色々考えて書いてらっしゃるそうです。
実際、タイトルでも漢字違いの「西条秀樹のおかげです」とかあるそうな。。。あと、事実が創作かわからない。。。
これは詩でもよくありますよね。学ぶこと多いです。例えばノンフィクションだけど特定できない。
そこで、「ノンフィクション」という言葉について、死紺亭さんから説明がありました。

 「ノンフィクション」・・・つまり「フィクションではない」は「実話」という意味ではないのだそうです。深い〜〜〜まだ課題だなぁ。。。
 その後で、松下昌己(死紺亭柳竹)の「へその緒」を精読しました。これはフィクションとノンフィクションがテーマです。
私は初めて死紺亭さんのリーディングを聞いたのがこれで、「やられた」と思いました。
フィクションについてのお話(第一連、二連、三連)があって、ご自身(?)話者の個人的な話しへと移る・・・
話者の実父が亡くなったところから始まるのですが、本当どこまでがフィクションかわからないドキドキ感で、
それで忘れたころに最終連:

おやすみのまえに ひとつつ白状を。
ぼくは焼きうどんは そんなに食べません。
ですから 万が一 ひょっとしたら
「これは『フィクション』です。」

その前の連で「焼きうどん」が登場するのですが、このアイテムがすごくリアルっぽくて、ついつい信じてしまってたのですね。
で、細かく読んでいくと、「焼きうどん」も啜りたいと言っているだけなんですよね。
豪華な食事なら、ただの願望とも思えるけど「焼きうどん」って、日頃、話者が食べてるから、食べたくなってる感じがするでしょう?
 むー、混乱です。でも楽しい混乱です。こんな感じで、この詩にも色々細工がしてあって、
「父」と「実父」と「亡き人」は同一人物として読んでいいものか?とかいっぱい出てきました。
面白かったです。読書慣れしてない私には高度でした!

 その後、死紺亭柳竹「中原中也になれなかったよ」をサラリと素読みして終わりました。
これは、これでいつもの死紺亭節がややポップになった感じで楽しませてもらいました。

いやぁ、濃いワークショップだったです。

以上

木葉揺でした。


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